4:ベッドのふちに腰掛けて







 くい、と服の裾を引っ張られてその手の主を見下ろした。
「どうしたの?美央ちゃん」
「……」
「ん?」
膝を曲げてしゃがみこんで、下から優しく見上げるように美央ちゃんと視線を合わせ た。
少しためらった仕草の後、美央ちゃんがいつものようにまだ幼い字で書いたものを見 せる。

『ママ、まだ?』

ああ、本当に、何て一途な瞳をするんだろう。
あの人に良く似ている。
強くて、一途で、それでいて、不安に揺れる瞳が。
 もう11時を過ぎようとしている。雪平さんにとってはいつもの事だけど、美央ちゃ んにとっては母親がもう帰ってこないんじゃないかと毎日不安なのだろう。 「まだしばらくかかるかな。大丈夫、ちゃんと帰ってくるから」
「……」
「先に寝てようか。僕じゃママの代わりにはならないかもしれないけど」
ぶんぶん、と頭を振って乱れた美央ちゃんの髪を雪平さんの代わりに解かしてあげ て、ベッドに促すと大人しく潜り込んで、やがて静かな寝息を立て始めた。
 まだ幼いのに、ずいぶんと「普通」とは掛け離れた境遇にいる美央ちゃんに、僕は きっと自分を重ねている。
親の顔を知らない、愛も知らない、絆も知らない。
彼女は泣くことも知らなかったあの頃の僕だ。
だからこそ、彼女を守りたいと思う。
誰よりも憎い人の最愛の人。
壊してしまうことが、殺すより効果的な復讐だと分かっていても、僕にはそれだけは できない。

ガチャ

ベッドに腰掛けて美央ちゃんの髪を撫でていると、ドアが開く音がして顔を上げた。

「…ああ、もう美央、寝ちゃった?」
疲れた顔をして、だけどその美貌が損なわれないのは、気丈な瞳の輝きのおかげだろ う。
「さっきまで起きてたんですけど」
「いいよ、寝かせておいて。……安藤も先に寝てて良かったのに」
「いえ。僕、昼間よく寝てますから。雪平さんこそ寝てください」
「うん」
 などと言いながら、彼女はコートを無造作にソファに放り投げ、美央ちゃんの寝顔 を確認するために僕の隣に座った。
 きちんと解かしたら綺麗だろうに、手入れを気にしてない髪。
洗いざらしのシャツに、化粧気の少ない横顔。
無駄に美人な、雪平夏見という女刑事。
……どうして、あなただったんだろうな。
普通に出会うことができていたらよかったのに。
あなたの悲しみや怒りを、ただ抱き締めたいと願えただけなら良かったのに。
「……美央、よく寝てるね」
「はい」
「最初はここじゃ安心できないかなとも思ったんだけど…きっと安藤のおかげだね」
「え?僕ですか?」
「うん。美央、安藤にすごく懐いてるから。あたしだけじゃ駄目だったと思う。あり がとう」
少しはにかんだように微笑んだ雪平さんの笑みに、心臓を掴まれたような気がした。

 この笑みを独り占めしたい。
抱き締めて、きつく抱き締めてしまいたい。
だけど、その裏側で、彼女の喉笛を噛み切りたい自分も確かにいるのだ。
「雪平さん」
「ん?」
「今は、一人じゃないですよ」
「……」
「この部屋には僕も美央ちゃんもいます。雪平さんが安心できる場所です」
「…安藤」
「だから、美央ちゃんにとっても僕にとっても安心できる場所なんです。みんなが安 心できるんです。一人じゃないから」
「……」
「……だから、僕も一人にしないでくれますか?」
「……バカか、おまえは」
そう言って笑った、口紅も取れてしまった色あせた唇が愛おしかったから、何となく 重ねてみた。
雪平さんは一瞬びっくりしたけど、離れることも暴れることもしないで、僕の手を探 り当てた。
シーツの上で重なった手も、唇も、何かを伝えすぎてしまいそうで怖くてたまらない のに、離れられない。
 ああ、そうだ、僕はこの人と離れたくない。
ずっと傍にいたい。
……僕が先に死んだら、取り憑いてみようかな。
そうしたら、ずっと一緒にいられるかな。
「……すみません」
「キスした後、謝る男は最低だって知らないのか?」
「そうなんですか?」
「ホントにバカだな、安藤は」
寝てる美央ちゃんをもう一度二人で見下ろして、何となく笑った。
「……寝てて良かった」
「さすがに美央ちゃんが起きてたら、僕だってしません」
「当たり前だ」
「まだよく寝てますね。だから」
「ん?」
「もう一回キスしましょう」
ベッドのふちに腰掛けたまま、もう一度キスを交わす。
このキスにどんな意味があるのか考えるのはやめよう。
今はただ、あなたを慈しみたい。
寂しい、強がりで意地っ張りなあなたを安心させたい。


僕の手を握り返してくる手のひらの強さに、泣きたくなったなんて、絶対に口にはで きないけれど。






                              終





writerd by,nekomimi
安藤が美央ちゃんに本気で優しくて、心配してる図が好きでした。
子供って敏感だから、どれだけ取り繕っても
本当の優しさじゃなきゃ受け入れない し、心も許さない。
だからこそ安藤の葛藤の強さも美央ちゃんを見ることでよく分かったのだけど。
美央ちゃんにとって安藤は「初恋」として残ってるんだろうな。
これも安藤の「復讐」の一つに結果としてはなってしまったことが少し悲しい。
そして、とりあえずちゅーさせてみました(笑)
やっぱり美男美女はビジュアルで考えると絵になって良い。