3:優しい言葉が降ってきた







「傷。痛む?」
「……そりゃ、もちろん痛いです」
馬鹿なことを聞いた、と思いつつ、雪平は痛み止めを安藤に差し出した。
「これ飲むようにって、医者から言われてる。ちょっと起きられる?」
「……はい」
安藤がぎこちなく体を起こし、雪平から水と錠剤を受け取る。
「……まず」
「我慢しろ、バカ」
「はい」
苦笑して、錠剤を嚥下する安藤の喉元を雪平は見つめ、ホッとした。
 大丈夫だ、生きてる。
地下で安藤が血まみれで倒れているのを発見したとき、心臓を鷲掴みにされた気がし た。
今こうして自分の部屋のベッドにいる安藤が本物だと認識して、確認できて、やっと 落ち着いた。
「……お腹空きました、雪平さん」
「大したもんは置いてないよ。薫ちゃんに頼んで何か持ってきてもらおうか?」
「……やです」
「え?」
「三上さんが来たら、二人きりじゃなくなるからやです」
「……バカか、おまえは」
この状況にそぐわない冗談を言い出す安藤は、大物なのか、やっぱり子供なのか。
「……インスタントのコーンスープでいい?」
「はい」
「じゃ、ちょっと待ってて」
湯を沸かすと、マグカップを二つ用意してインスタントのコーンスープを安藤と自分 の分を作って、ベッドに戻る。
「いい匂い」
「はい、これ」
「ありがとうございます」
両手でマグカップを受け取った安藤を見て、雪平は窓辺に立ってカーテンを開けた。

「すみません、雪平さん…。ドジって、しかも……捜査も手伝えないで」
「バカか。そんなこと気にするな。……安藤が生きててくれて良かったよ。それが何 よりなんだから」
「はい、僕も死ななくて良かったと思ってます」
「だったら、それでいい。……今はゆっくり休んで、治してからまた一緒に仕事をし よう」
「はい」
「明日は薫ちゃんが来てくれるから、そうしたら、食べたいものリクエストしておく といいよ」
「……三上さん、来るんですか?」
「特殊任務って言ったら大喜びだった」
「……なるほど」
雪平もコーンスープに口をつけて、少し甘い味わいを楽しんだ。
「雪平さん」
「ん?」
「僕ね、これ好きなんです」
「コーンスープ?」
「はい。受験勉強してたころ…これよく飲んでました。暖かくて美味しくて…大好き だったんです」
「そう」
「久しぶりに飲みました。やっぱり美味しいですね」
「うん。あたしもこれ好きなんだ」
「雪平さんも?」
「……よく、お父さんが作ってくれたの。お父さんと一緒によく飲んだな。いつだっ たっけ。流れ星がたくさん降る夜があるんだぞって、 これ作って、家のベランダで毛布に包まって、ずーっとお父さんと流星群を見てたこ とがあった。……ああ、ごめん。変な話してるね」
「いえ……」
ふわりと安藤が微笑む。
「聞かせてください」
 星が降ってくるとき、願いをかければ叶うと聞いたのはいつだっただろう。
父がいつも歌ってくれた「きらきら星」を歌うとき、幼い頃父の肩車で願った願いは 何だっただろうと思い出そうとしてみる。
だけど、どうしても思い出せない。
この空が今より遠かった頃、何を願っていただろう。
「……お父さんが言ってた。流れ星に願えば、願い事が叶うって。だけど、その時あ たしが何を願っていたのか、どうしても思い出せないの」

彼女の声で語られる優しい話は好きだ。
聞けば聞くほど。
知るほどに、憎しみの刃が鈍っていきそうで怖くてたまらないのに、どうしてこんな に惹かれてしまうのだろう。

「雪平さん」
「何?」
「少し……眠くなってきました」
「鎮痛剤には睡眠導入の効果もあるからね」
「ですね……。眠ってしまっていいですか?」
「当たり前だろ、バカ」
「……雪平さんにバカって言われると、生きてるなって気がします……」
「バカだから、バカって言ったんだよ。ホントに大バカだ、お前は」
だけど、安藤の頭を撫でる雪平の手は優しく、それに従順に従う安藤もまた安らいだ 表情で目を閉じる。
二人の生きる世界も、その心も、とても寂しく冷たい場所にあるのに、そんな生き方 を望んだはずなのにこの温もりを手放したくない。

今は。
この寂しさをただぬくもりに変えて。

「……願い事」
「え?」
「雪平さんの願い事は何ですか?」
「急に言われても思いつかないよ」
「じゃあ思いついてください」
「……そうだな。それじゃ……安藤が早く元気になること、かな」
「……叶えてあげたいですね、その願い」
「バカか」
「僕はバカなんですよ?」
「……たく、おまえは」
他愛もない言葉が優しく、安らぎに変わる。
心を掴む響きだ。
お互いの声の温もりが心地よくて、少しだけ泣きたくなる。


こんな静かで優しい夜は、現実ではないようで。
だけど、夢だと思うには余りにも離し難い温もりで。


あの子守唄より今は優しい愛おしい言葉を、安藤から聞きたい。
それが今、この瞬間の雪平の願いだと、安藤は知っていた。

(あなたを殺す瞬間まで)

そうだ、それまでは。
臆病で悲しい痩せた心の在り処を、気づかない振りをしていよう。
優しい、少し頼りない、大切な相棒でいよう。

(あなたが好きです)

殺したいほどに。
殺したくないほどに。

(あなたが好きで好きで、僕はおかしくなりそうです)

恋と呼ぶには、余りにも優しくない想いだけど、今だけは。
今だけは、優しい言葉を捧げたい。

「雪平さん……」
「ん?」
「……ずっと一緒ですよ」

ずっとずっと。
この復讐の終わりがどんな形であったとしても。
ずっと一緒にいたい。

この願いは、叶うだろう。
彼が死んでも。
彼女が死んでも。
二人が死んでも。
こんなにも深い願いはきっと叶う。

「……まず傷を治してからにしろ。そういう台詞は」
「はい……」




 その夜流れた星の数を二人は知らないけれど。
降り注いだ優しい言葉は、きっと数えきれないほどだ。
                     






                              終





writerd by,nekomimi
看護されてる安藤の葛藤みたいなものが書きたかったのにあれ?
なんかただのラブラブになってる。
でも安藤の優しさはきっとずっと本物で、
だから雪平もそれに安心してたんだと思う。
だからこその悲恋に萌えてしまうわけですが!
しかし、安藤視点からのほうがやっぱり書きやすいなー。