1:忘れる為に泣きましょう







泣かない女だと、言われた。
言われすぎて慣れた。
だけど、彼は言った。
「雪平さんが泣かないなんて嘘ですよね」
と。
揺らぐことのない確信を込めて、笑った。

その笑顔を思い出すと、何故か泣きたくなる。




 少し煮詰まったコーヒーを一気に空きっ腹に煽ってみた。
あまり胃にはよくないだろうが、これを飲まないと体に力が入らない。
(……安藤の淹れるコーヒーの味が良すぎたってことか)
安藤が家にいた時は、かかさず淹れ立てのコーヒーの香りがした。
「中毒なんです」
と笑って、いつもコーヒーを飲んでいた横顔を思い出す。
「何だったら、教えましょうか?」
「何を?」
「おいしいコーヒーの淹れ方」
「めんどくさい」
「そんなに面倒でもないんだけどなぁ」
「安藤が淹れてくれればもっと面倒じゃないでしょ」
「ズボラすぎませんか?」
「使えるものは何でも使う」
「まったく。いつか僕がいなくなったらどうするんですか。ほら、いいからこっち来 てください」
珍しく強引な安藤が雪平を立たせ、雪平の目の前で手際よくミルで豆を挽き、ドリッ パーを用意する。
沸き立ったお湯を注ぎながら
「少しずつ注ぐのがポイントなんですよ。一気に注ぐと豆の雑味や苦味が出ちゃうん です。ま、それより大事なのはいい豆を選ぶことと、挽く時に風味が逃げないように 熱を持たせないことですけど」
と楽しげだ。
「ふーん」
何となく安藤の手元を見つめて、雪平は香ばしいコーヒーの香りに目を細めた。
「はい、どうぞ」
安藤が差し出したマグカップを素直に受け取り、その美味しさに口元を綻ばせ
「……うん、美味しい」
と素直に口に出来た。
「良かった」
「また淹れて」
「居候させてもらってる間は、家賃代わりに淹れさせてもらいます」
「じゃ、頼もうかな」
それから安藤は、約束どおり律儀にコーヒーを淹れ続けてくれた。
外に出られないからと、豆は三上が買ってきて時には三人でコーヒーを飲んだ。
 あれはいつだったか。
深夜に帰ってきたとき、少し薄めのコーヒーを安藤が淹れてくれた。
疲れた顔をしていたのだろう。
「今日は僕、ソファでいいですから、雪平さんベッドで寝てください」
とマグカップを差し出した。
「バカかおまえは。怪我人が何言ってんだか」
「もう歩き回れますよ。それに、刑事なんですからソファで寝るのも慣れないと」
「そんなの署でだけで十分。いいから寝てなさい」
「はい。……何だか、母親に怒られてるみたいだな」
「安藤があたしの息子?あはは、無理無理」
「そうですね。雪平さんは美央ちゃんだけのお母さんで十分ですよ。じゃあ、恋人で いいかな」
「恋人?」
「そう。こうやって深夜のコーヒーを一緒に飲む仲なんですから」
「安藤が恋人ねー。じゃ、恋人らしいことしなきゃね」
「はい?」
ぐい、と雪平が安藤を引き寄せ、顔を近づける。
至近距離に、お互いの瞳を確認して、安藤が慌てた声を挙げた。
「ゆゆゆ、雪平さん!?」
「……だめ、役者不足」
ぱっと雪平が手を離す。
「あたしの恋人を名乗るのなら、ここで自分からキスするくらいの度胸持ちなさい。 もしくは口説き文句の一つでも囁くとか」
「……はい」
あの時、キスくらいちゃんとしておけば良かった。
ああ、そうだ、あの後だ。
安藤が笑って言った。
「さすが、警視庁1の鉄の女ですね」
「何よ、鉄の女って」
「冷徹で泣かないクールビューティ、雪平夏見刑事、でしょ?色んな人から聞かされ てました」
「褒め言葉?」
「僕はそうは思いませんけどね」
「ん?」
「雪平さんが泣かないなんて嘘ですよ」
「……」
「泣かない女なんかじゃありません。雪平さんは、ちゃんと涙を知ってる人です」
「……バカか、おまえは」
「あれ、今の口説き文句のつもりだったんですけど」
「却下」
それから笑って安藤とコーヒーを飲んだ。

コーヒーの香りと、安藤の存在がダブって涙がにじむ。

美味しいコーヒーが飲みたいのに、淹れてくれる男はもういない。
「……安藤」
涙を零しても、いいだろうか。
安藤の笑顔の裏にあった、苛烈な悲しみと慟哭を知った今、涙が零れる。
「……安藤」
欲しかったのなら、くれてやっても良かった。
この命で良かったのなら、幾らでも。
なのに、生き残ったのは自分だ。
「……バカは、あたしか」
忘れることのできないことだらけ。
その全てを抱えて、背負って、生きていく覚悟はどうしたら掴める?
「……安藤、忘れてもいいかな……?」
たった一つ、忘れることを許して欲しい。
あの時、この命を安藤にくれてやってもいいと思った気持ちを。
この命を惜しみたい。
抱えた全てを、何一つ零さないために生きることに縋りついて、生き抜いてみせる。

くれてやるなら、安藤にだ。
他の誰にもこの命はやらない。


「いつか、僕がいなくなったらどうするんですか」


あの言葉の意味はきっと、何かを予感していたから。
だから、分かる。
いなくなったら、泣いてやる。
泣いて泣いて、ずっと忘れずにいてやる。
この命を手放そうとした瞬間だけを忘却して、泣いてやる。


そして、空っぽのマグカップに、雪平の慟哭が零れた。






                              終





writerd by,nekomimi
雪平が安藤に執着してるのがとても好きです。
SPの安藤幽霊ネタは色々と使えるね(笑)